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実測で見えたガウディデザイン バルセロナの陽光に魅せられて 最もガウディに近づいた建築家、田中裕也が綴る

毎日がワークショップの作業現場

ガウディの言葉で環境と人について、「良いものができるできないは、環境によるものではなく適正な人による」と指摘している。
つまり作品の出来具合は、環境条件ではなく担当する人が適正であるかどうかということになる。
極端な話、電気屋さんに大工仕事を頼むようなものなのかもしれない。
おそらく彼の建築作業でもそのような場面があったのだろう。というより職人達と常にワークショップをしながら施工作業を進めていた事は、カサ・バトリョの請負い業者であったホセ・バイヨ・フォンとの会話からうかがうことができるから、そのような状況からのガウディの考察なのだろう。
たとえばカサ・ミラでは毎日、仕事が終わってから翌日の課題として難問を与えていたという。つまり毎日作業の難問を与えて、翌日は解決策を……という環境で作業をすすめていた。
挙げ句に、その職人はガウディに感謝しているほどである。
施工現場はある種の工房のようなところである。毎日のように新たなものへの改善と試みが行われる場所である。グエル公園でも同じように、職人達に「明日現場にやってくる時は、各自住んでいる近所で廃材を見つけたら持参するように」と指示していた。
ガウディは雑品屋をしていたわけではない。
その廃材をグエル公園の仕上げに利用しようという目的からである。
廃材は日常生活で使い捨てにされたものが殆どである。それをリサイクさせて蘇らせるという目的がガウディの心にはあったのかもしれないが、実際には、一つ間違えると近付き難いものにもなりかねない。
その辺りはガウディの才が反映している。これも仕上げは、まさにプロに徹していた職人気質を父から受け継いでいたのだろう。 
その意味では日本の職人さん達の基準は世界的にハイレベルにある。
世界の職人コンクールでは、たくさんの日本人が賞を持って行ってしまうほど仕事の美しさと丈夫さをもっているのはメイド・イン・ジャパンの所以である。
ここで、もし日本の職人さんがこのグエル公園をガウディの支持の下で作っていたらどんな仕上げになっていただろうか。恐らく公園全体が宝石のように輝いていたかもしれない。といったことを思い浮かべながら現実の多柱室の広場や蛇行ベンチを見る。

大胆な技術とアートで仕上げられている。細かな仕上げにまでは目が届かないというよりボールトなどは傍で見ることができないので恐らく傍で見る分には大雑把なのだろうと思えるような所もある。まるで油絵の世界かもしれない。
構造体になっているボールトも破砕タイルによる廃材仕上げである。
そのピースも予め型枠の中で作ってから組み立てるということになる。
タイルの配色その他の管理は、ガウディの協力者ジュジョールに任せている。
しかし全体の仕上げコントロールはやはりガウディが毎日のように見ていたことは確かである。幸いにして1906年からガウディはグエル公園の自宅に住むようになるわけだから、サグラダ・ファミリア教会への通勤で毎日のように公園正面入口を通って自宅に戻っていたことをホワン・マタマラが語っている。
しかも入口では近所のトリアスの息子が迎えに出ていたという。

彼はガウディの話し相手であった。入口の前にあったバルで一服して一日の出来事を説明したり作業のお話をするのが楽しみであったというのだ。
     
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