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建築家トップ > バルセロナ便り > 第281回

実測で見えたガウディデザイン バルセロナの陽光に魅せられて 最もガウディに近づいた建築家、田中裕也が綴る

描くことも、書くことも嫌いだったのに

ガウディ建築を実測し作図をしてきて40年になっている。始めの頃は訳も分からずがむしゃらに測ることから始めた。言葉も分からず文献も読めず、自分に残された手段がこれしかなかったと言うのが実感である。
そして偶然にもこの作業がとても時間のかかる作業であり、誰もが好んでやってみようとは思わないことも事実であることを認識するようになった。

スペイン人の仲間にこの作業を続けないかと誘っても、誰も乗ってはこないことも事実である。

まさに無償作業であり、作業の間は生活費もどのように捻出できるのだろうとさえ思っていた。後にも先にも何の役に立つのかも分からず、夢中になってガウディの建築作品を測ることで何かが見えてくるはずであるということだけを直感的に感じていた。これを「波長」であると思えるようになった。

それでこれまでに何が得られたのだろうか。寸法、そしてその実測から得られたデーターをベースに作図をし、スケッチや実測値を整理し始めた。

始めは単にスケッチの練習となり、しかも測ることでその部分の数値が見えてきた。実はこの作業は、幼い頃から最も苦手にしていた作業である。しかも根気がいる作業である。作図というのは美術の世界であり私の趣味ではなかった。文字を書いても好きになれない字である。嫌気をさすほど書くこと、描くことが大嫌いな青少年の時代を過ごしていたのである。今でもその名残は残っている。
ところがそれらの美術の世界が今では全く逆転したのである。

むしろ作図をしていることが自分にとっては瞑想の時間に入る気がしてきたのである。ここにどんな意味があるというのだろうか。そしてその変化はどんな意味を自分にもたらしてきたのであるかと考えた。

その中でも最も関心が高いのはコードである。昔ダビンチ・コードという小説があり映画化もされた。私は自分の作業がこのようなコードの世界に入り込んでいたことに気がつくようになる。
ちなみにこのコードというのは、見え隠れしている本来の特性のことであり決してミステリックなものではなく珍しいことでもない。そのコード番号さえわかれば鍵が開き、保管されているものや閉まっているものなどを開けてみることができるようになる。つまり大切なものがコードによって見えない状態になっているのである。
まるで人の個性にも似たような分析をしている。
つまり人々は人生において自分の個性を見つけようと躍起になる。しかしそのコードを見つけられない人もいれば見つける人もいる。
それで見つける人は、人生において自分の個性や特性を謳歌する人たちである。
それは一握りの限られた人たちにもなっているような気がしている。見えるようで見えないとても解りにくいのがこのコードであるということにも気がついた。これが建築作品や芸術作品にもあるということでその作業も進めてきた。

その芸術作品は、作家達の個性が反映されてそれから彼らのメッセージとして作品がつくられるのが通常である。だから彼らの作品を見るときその特性によって作家の名前が理解できるということになる。

このように人の作品というのはとても面白い個性の鏡であるような気がしている。
     
田中裕也氏プロフィール
 
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