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建築家トップ > バルセロナ便り > 第322回

実測で見えたガウディデザイン バルセロナの陽光に魅せられて 最もガウディに近づいた建築家、田中裕也が綴る


田中裕也の定理とガウディコードの関係

アンチノミーまたは「二律背反」という言葉ある。それを辞書で調べてみるとお互いに反するものが存在し合うということである。
世の中のありかた、白と黒、陰と陽、男と女、天使と悪魔、天国と地獄、この自然界の仕組み、宇宙の仕組みも同じように、質と無、限りないミクロの世界も本質的には何かの点にたどり着く。例えば宇宙も限りなく進めばどこかの点にたどり着くのかなと思っている。ビックバーンの発散は360°であり膨張もそれに従っているはずである。宇宙が膨張しているであれば起源があるということになる。
そしてそのような宇宙が周囲に広がっているのである。
私は宇宙の外側を知りたい。宇宙の外側はどうなっているのだろうか。
計算しても仕切れないほどの距離の世界にあるということなのだろう。物理的な移動ではとてもたどり着く世界ではない。環境も違うのかもしれない。それは何色かもわからない。実際に色などもあるのだろうかとも思ってしまう。
そんな宇宙の世界から見る私達人間の社会は、ナノの世界である。そこでさらにミクロの世界があってウイルスと共生し戦っている。
まるで笑い話にもならない世界である。そのナノの世界で生存のために生物達が鎬を削りあっている。 これを「鍔競り合い」という。
私はそんな競り合う時間があるならそのエネルギーを建設的な方向に向ければと思っている。生物達の寿命などナノの時間である。 宇宙時間で見ると一瞬である。 そう見てしまうととても儚さを感じてしまう。
まだ呼吸しているということで生きている感覚があるが、それも宇宙時間からすればナノの世界の一瞬の命ということである。
今まで物質的にものを見てきたが、それを感性の世界に置き換えると、一瞬にして宇宙の外側を見ている自分がいる気がして仕方がない。 これは想像するときにその世界での計算式は天文学的数字で見えるだろうが、実はそれも我々の日常の計算式と同じようにその世界の生物が見ているのだろう。
このようにしてみる「箱の中の箱」とい宇宙というより世界があるような気がしている。このようにして物事を判断するとき、普通は狭い地域での判断になっていたりすることが大半である。
私が「固定概念を外して」というときは、日常の社会で得た知識の全ての概念を外すことができるだろうかということになる。ところが友人たちは世間を範疇に入れてしまう。 そこで想像や仮定はこの宇宙の外を見ている気分で考えるというふうにしていただくと「ナノの世界」社会性などは、まるで対象外ということになる。
すると私も含めてどうして良いのかわからなくなるはずである。それは誰も経験したことのない世界であるからだ。

これが「空の世界」または「ゼロの世界」ではと思っている。 坐禅をした時に何も考えないようにと坊さんのコメントが入る。 すると修練中の人たちは何も考えないように考えているがそれすらも理解できないはずである。
そして気持ちを「ゼロにするには」どんなことをすれば良いのかと考えさせられる。
今の私は実測をすること、そして作図をしている瞬間がゼロの境地になれる気がしている。つまり測るという行為が整理するという単純作業として、自分の気持ちを整理して再起動させる作業ではないだろうかとさえ思っている。

その作業をすることで脳細胞も初期化され視覚と聴覚、臭覚、味覚、触覚などで感じるものをインプットする。そのような作業をまだパソコンがなかった時代から自分の中で進めきてきた。 そして「田中裕也の定理」となってそこからコードが見えてきている。例えば一つの例がガウディ・コードである。
     
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