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建築家トップ > バルセロナ便り > 第336回

実測で見えたガウディデザイン バルセロナの陽光に魅せられて 最もガウディに近づいた建築家、田中裕也が綴る


ガウディ自ら作図した最初で最後の図面

ガウディ建築を実測して作図をすることで何が見えるのだろうか。最初は何も見えていなかった。ただ、実測して作図することで何かが見えるはずであると思っていた。確かに初めは作図をしてガウディ建築が図面になると、それだけで感動したものだ。
ところがこの体験は、それだけでは本来の建築要素というのが何も見えていない。そこから何を見つけることができるのか、ということが理解できるようになるにはガウディの書き残した1971年から79年の日誌の原書を読破し、さらに当時の協力者たちによる会話集や伝記も全訳することによる精読が必要であった。その関係書籍である原書12冊の全訳に10年以上の歳月が流れた。
ガウディ建築の作図に関しては内戦で焼失したとかというのが大半の説であるが、「ガウディの人、作品、理論」(1967年)を執筆したセサール・マルティネール(Cesar Martinell)によるとガウディが建築家になって最初で最後の作図というのは1882年にバルセロナ大聖堂のファサードコンペのために彼の師匠であったホワン・マルトレール(Juan Martorell)への協力で参加した時のファサードの立面図ということになるとしている。なぜなら1883年11月3日にはサグラダ・ファミリア教会の協力者たちがその後の計画図全てを描いていたというのだ。しかし建築許可申請図程度のものばかりであった。
ただしエル・カプリチョ、アストルガ司教区館、カサ・デ・ロス・ボティネスの計画では、模型と作図一式が用意されていたとしているがこれらも含めてサグラダ・ファミリア教会での協力者たちによる製作ということがより現実的な見方であるとしている。従ってガウディ建築の作図は基本的には、ガウディ自らの作図ではなく協力者、特に彼の右腕でもあったフランシスコ・ベレンンゲール(Francisco Berenguer)による作図ということになる。ではガウディは何をしていたのか。
ガウディは模型製作が堪能だったのか、建築工房でも模型室での作業が中心であった。そのことを当時のドラフトマンで描画家のオピッソがガウディの模型工房での様子を描画し、さらにガウディの模型と彫刻製作で親子代々の協力者であったホワン・マタマラ(Juan Matamala)もガウディの摸型製作の様子をデッサンしている。
ガウディはそれぞれの作品のデッサンも残していたことから、デッサンをベースに協力者たちがそれぞれの詳細な原寸摸型まで仕上げるための作図をしていたということが見えてきた。
私が王立ガウディ研究室に1980年から2009年まで在籍していた頃、研究室でガウディによるデッサンや僅かな作図も含めてのデーター整理をしていた1983年代の頃を想い出している。その頃には確かにカサ・ロス・ボティーネスのコーナー・トリビューンの詳細図を見たことがある。他にカサ・ビセンスの申請図、など他にも建築許可申請図があった。私が実施してきたガウディ建築の実測・作図というのは、その申請図のコピーをする作業ではなく完成している建築作図である。
つまりガウディ当時には、そのような完成図というのは必要なかった。むしろ模型で全てを済ませていたということだ。したがって私の一連の作図は、断面アイソメ図も含めてガウディ自ら描くことはなかった図面ということになる。

世間では、どうもガウディの作品を作図も含めて私がトレースしていたのだろうという見方が多い。したがってそれについての説明を一度どこかできちんとする必要があると思っていた。
特に最近では著作権問題が頻繁に取り上げられている。
そのためにも私の実測・作図の経緯を説明する必要があると感じた。

     
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