| 光と音の効果を考慮した中央祭壇に装飾円柱の謎
 
ガウディは視覚について「視覚は、栄光(栄光が美しい形とすれば)の感性であり忠誠の感性でもある」としている。感性の尊さを視覚によって表現している例である。
 建築の芸術性は、視覚を通して判断され、その尊さは光なくして評価できないということになる。
 つまり光りがあって色があり、初めて生命の誕生ということにもつながる。
 それは場所に応じた適正な光の量がある。
  つまりガウディ建築では色は生命の代名詞ということになり、そのように彼の協力者に話している。 その色と光を駆使したかのように、この地下聖堂のステンド・グラスまたは窓を配列している。
 その窓の形は正方形、矩形、丸、円でもない下膨れの形をした窓というような形を、外側から感じ取る事ができる。ところが内部では円形状に花びらが並んだような窓になっている。
 それによって自然光が教会内部に入ると、光は内部空間中央下部が明るくなるようにしている事が想像できる。
 確かにそれ以上の光は必要ないということを示唆している事がわかる。
 さらに中央祭壇の後ろは曲面体になっており、祭壇におけるミサや説教の音が、席の方に、より効果的に広がるような工夫を凝らしていることも理解できる。
 音の響きを考慮していることは経験的に認識していることから、私はこの場にくると、必ず中央壇の階段に腰を下ろして周囲を眺める習慣がついてしまった。
 友人達と同行すると、友人達をガウディがデザインした二人掛けのベンチに座らせて話し始める。すると何時間でも話がしたくなる。音の響きと自分の声がよく聞こえるのである。
 そんな環境にいると話のネタが泉のように湧き出てくるような気もするのである。
 その中央祭壇の周囲は、荒削りの4本の傾斜した玄武岩の柱によって支えられているのだが、その上にドームがかかる予定であった。周囲の柱もその中央へ傾いて立てられている。
 そのドームは高さが35mから40mであり、この教会でもっとも高い部分となる。松の木の成長率にも匹敵する高さである。
 しかも平面の寸法は、幅が25m、奥行きが63mとなっていることから、これからすると外部の立面はほぼ黄金分割に収まる。
 この中央祭壇の部分では、構造実験から生まれた繋の形と放射状に広がる梁がこの中央一点に集中する。つまり建物全体の荷重はこの一点周囲に分散され、その一点は真空状態つまり空洞のような穴があっても良いほどに荷重がかかっていないことになる。しかしアーチやドームではこの部分は要石で、ドームの締め役となる。
 これらも圧縮状態で上部の荷重が流れるようになっているのかと思うとうなずかせるものがある。
 そんなことを考えながら詳細の実測を進めると、中央祭壇の奥にある柱の仕上げ方が尋常ではない事に気がつく。
 というのもレンガ造の丸柱がモルタルとレンガ仕上げの市松模様になっているのである。そこで利用されているレンガは普通レンガではなく、円弧型のレンガで平断面が三角形、正方形、正六角形と想像できる。
 円柱上にこの市松模様にする理由は何かと疑ってみる。
 ガウディは理由なくしてそんな模様はつける訳がないからである。
 実験していた構造の形を理解していれば、他に自然観察の優れた一面を見せている箇所がある。これと何らかの相関関係があるのだろうか。
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