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実測で見えたガウディデザイン バルセロナの陽光に魅せられて 最もガウディに近づいた建築家、田中裕也が綴る

余裕とリセット力が生み出す物

ガウディは芸術について
全ての芸術作品には魅力がある。オリジナルを求めるとき、魅力の特性を忘れると、芸術的作品にはならなくなる
と言っている。
彼の数少ない建築作品はどれも芸術作品となっている事には間違いなく、彼もそのように対応していた。特にグエル公園に関しては、その芸術性が120%の完成度を示しているのではないだろうかと思わせる事がある。歴史的建築手法はさることながら、芸術性の中に地域や民族のアイデンティティーを演出しているところまで網羅すれば100%の芸術性といえる。さらにウルトラC、つまり技術的改革で「プレファブ」という当時の技術としては斬新でありながら、一方では模型的技術から生まれた伝統的な手法を建築に取り入れたことである。ちょっとした職人技術のアイデア展開である。それを見事に建築レベルにまで応用したのである。

私はその技術を確認するべく実測をしていた。作業中に何度か管理職員達から質問されたが、予め準備していた許可証が役にたってくれた。以来公園に管理人がいても顔パスで調査ができるようになっただけではなく、時には実測の手伝いもしてくれたことがあった。
ここで少し応用性を理解する為の頭脳の構造を考える。
人間の頭脳は10%ほどしか使われていないというが、それであれば、残りの未使用の90%の脳細胞はどうしているのだろうか。それを利用することで自然の神秘を完璧に解決ができるのだろうかと思う事がある。100%の脳細胞を利用できると頭脳の機能である「記憶や応用」という作業がスムーズにできるのだろうか考えさせられる。 
記憶を支える機能も頭脳の働きの一つであるだろうから、「記憶と学習」によって使用されている細胞と、それを維持し応用する細胞のポテンシャルを100%使うと、ハード・ディスクの全てを利用するように機能障害を起しかねない。
つまり頭脳のポテンシャルとなる脳細胞は、「機能と指令」の間にパワーの余裕を残す事ではじめてシステムが動くようになっているのではないだろうかと思える。それはコンピューターのハード・ディスクの容量に似たところがあるとすればおかしいだろうか。例えばスポーツの筋力運動でも同じ事が言える。筋力に余裕がないと持続性も反発力にも影響する。ある程度余裕のある筋力の使い方をしなくてはならない。つまり運動能力も脳細胞も使用程度による気がしてならない。筋力運動でも全力というのは瞬間の動きであって余裕がなければその持続性に問題を生じて衰弱し、ストレスだけが残り病的症状を引き起こす。それよりも力の出し入れを交互にする事で筋力維持も継続できるように訓練するべきであるというのは間違いだろうか。

脳細胞のリセットをするには何が適しているのだろうか。
運動、食事、休息、アンチ・ストレス活動、そして趣味を生かした活動がリセットの手段となるのだろう。運動は健康のメンテとしての動きであってコンペによる運動ではない。
そんな風に自分の日常を正当化している。
ガウディは創作活動をライフ・ワークにしている。これも彼の頭脳のリセットとして、毎朝現場まで散歩して職人達と話し合ったり模型を作ったりすることで充実した日常を過ごしていたのだろう。

しかも職人達とのジョークのやりとりは、気持ちの余裕を見せているシーンでもあることは職人達との会話からも伺う事ができる。
     
田中裕也氏プロフィール
 
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