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建築家トップ > バルセロナ便り > 第243回

実測で見えたガウディデザイン バルセロナの陽光に魅せられて 最もガウディに近づいた建築家、田中裕也が綴る

ガウディが残した図面

ガウディに関する資料が世界から集まっていた王立ガウディ研究室は、2009年までグエル別邸に存在していた。その頃は、故バセゴダ教授が主任をしていたカタルニア工科大学の研究室でもあった。私はこの研究室に籍を置いて博士コースを受講していたことから、自宅の様に利用させてもらった。ある日、いつものように見ていたガウディ当時のオリジナル資料が、煩雑に置かれていたことに気がついてそれを整理したいと思った。
中には、僅かながらガウディ時代に描かれた建築許可申請図もあった。他にデッサンや、ガウディが学生時代に描いたバルセロナ大学記念講堂の着色断面図、大きな着色詳細図なども何気なく壁にかかっていたのが記憶にある。
故バセゴダ教授にその整理の計画を説明したところ、木製の大きな引き出しに入っていた他の作家による図面やデッサン、作図やスケッチ、写真なども整理するように依頼された。それらの資料を写真に撮りながら写真入り目録カードを作ることにした。そこで見かけたのは彫刻家で模型職人のホワン・マタマラが描いたガウディの模型制作中の描画である。その他に彼の描いたニューヨーク・ホテルの計画スケッチ、ジュジョールのデッサンなどもあった。
他にガウディが建築学部時代に描いた課題の作図は、どれもが繊細さを極める作図であったことを記憶している。特に彫刻や装飾部分の線は流動的で私がサン・ジュックの美術サークルで見かけたブロの画家達が描くような線に見えた。そこでガウディが建築家になった1878年からサグラダ・ファミリア教会に入籍する1883年までの彼の作図を見てみる。中でも1882年に彼の師匠であった建築家ホワン・マルトレールと共にバルセロナ大聖堂のファサード・コンペに参加した時の立面図がある。その作図は、ガウディが建築家となって最初で最後の建築作図だとセサール・マルティネールが記している。その立面図は鳥肌が立つほどに繊細な立面図である。しかも典型的なゴシック風の建築の表現で装飾的な部分の描写は見事である。ところが1883年、ガウディがサグラダ・ファミリア教会の主任建築家になってからはスタッフ達も大勢増え建築計画に必要な作図や模型が他の協力者の手によって準備されるようになった。それに民間建築の請負もしながら教会のスタッフ達と一緒に計画を進めていた事も当時の模型写真から伺われる。

作図における面白いエピソードはカサ・ミラ別名ラ・ペドレラでのことであった。ペドレラの地下階を現場事務所として利用し、そこに縮尺1/10のファサードの模型を作る。そこで漆喰職人ベルトランは、ガウディの指示に従って建物凸凹の模型を作った。その後、模型はノコで部分に切断され現場に運ばれ石工人の模型に利用された。また詳細の図面も大きく作られることになった。
このカサ・ミラの施工を請負ったホセ・バイヨによると「カナレタが、ガウディにそんな大きな図面は体が届かないしそんな大きな板に図面は描けない」と言った。
そこでガウディは「その板の真ん中に穴を開けて、そこから協力者が周囲を描くように」指示した。そのカナレタは1902年に建築家となっている。

カサ・ミラの建築許可申請図をみると施工された作品とはとても同じ物とは思えないほどにかけ離れた立面図である。

フリーハンドによる立面図であるが、当時はそれで建築申請図を通すことができたのだとあらためてうなずかされた。
     
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