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建築家トップ > バルセロナ便り > 第332回

実測で見えたガウディデザイン バルセロナの陽光に魅せられて 最もガウディに近づいた建築家、田中裕也が綴る


ガウディ・コード探求の先に

自分の中で交錯するガウディ・コードの思考がこの文章を書かせているのだが、それもこれまでの実測・作図から得られた思考性である。これも想像することもなかった全くの別世界である。
その思考性がさらにどのようにして社会に還元できるのだろうかと思案した。

1998年にはメキシコのベラクルスの街で開催されたサン・ホワン・デ・ウルワの城塞修復計画のためのワークショップがフォーラムユネスコで企画され、建築部門は私が招請されて現地に赴いた。
そこには各分野の専門家、研究者、歴史家、科学者、生物学者、弁護士達も集まっていた。それまでに経験したことのなかった人達の集まりで、彼らと一緒にこの城塞建築の修復計画をするという目的であった。
私は現地を訪れるまでは何の詳細も説明されていなかった。まるでマメ鉄砲を食らった気分でもあった。しかし、私は瞬時にそれまで培っていた実測・作図の知識とガウディが行っていたワークショップ的な作業を想定して、私なりにアレンジすることを思い立った。
ガウディも当時は120人から150人くらいの協力者たち、しかもそれぞれ分野が違う連中と仕事をしていた。彼らとどのように話し合い対応するかを自分の中で想像していた。この経験はのちに素晴らしい効果を生み出すことになった。
つまり約10日間のワーショップで、最終的な修復計画でそれぞれの分野がどのように関われるのか、集まった人たちで協議することになったが、その前に専門グループに分かれてそれぞれの分野に沿った分析と提案をする方向としてオリエンテーションを勧めたのだ。
測るという行為は同じでも各分野での測り方が異なるということも理解し、彼らが期間中にプログラムと資料を作り上げ、修復計画に関わる提案とすることになった。最終日、私は官僚に朝食を招待され、このワークショップのまとめを説明することになった。そこで2019年までの長期にわたるまちづくり計画からその修復計画に入ることを提案した。非常に実践的なアイデアではあったがお役人さんは目を白黒させていた。というのも本来は城塞についての修復計画であるはずが、まちづくり計画からとし、しかも20年にもわたる城塞の修復計画としたアイデアに驚いていたのである。

当時の私にとって、メキシコ湾に沿ったベラクルスは初めて訪れた街であった。この城塞以外には街としての魅力が整備されてはいないのが現状であった。そんな街での城塞修復計画となると予算が膨大であると感じた。そうなると自治体だけの予算では修復は無理だということに気がつき、外資による資金を工面する方法も同時進行しなくてはならいと思った。街には投資するに相応しい整備と整理をしなくてはならないと思った。つまりまちづくりの手法で城塞修復計画を取り組むという話に終始したのだ。

当時集まってくれた人たちとのワークショップのデーターは相当な分量になった。これを10日間で出来上がるのも奇跡であると感じた。

結果的にはそれ以降ベラクルスには戻っていないので様子は分からないが、当時の友人たちから提案の方向で作業が進んでいたことを聞かされたことがあった。
     
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