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  建築家トップ > バルセロナ便り > 第80回
実測で見えたガウディデザイン バルセロナの陽光に魅せられて 最もガウディに近づいた建築家、田中裕也が綴る

サグラダ・ファミリアとコロニアグエル地下聖堂
同時期に2つの実測と作図に取りかかる

ガウディは”全ての芸術作品には魅力がある。オリジナル性を確認する時、魅力の特性を忘れて芸術的作品ではなくなることがある。”と語っている。
実測はその魅力の特性を認識すると同時に、自分の体に焼き付ける作業である。
カメラの印画紙みたいなものかもしれない。実測は、ピンホールで被写体を探して、定まった所でシャターを開くというような動作となるのだろう。

煙に巻かれたようなスペインでの生活は,カサ・バトリョとカサ・ミラでスタートを切ったが、所詮は、個人研究である。
夢の実現には気持ちだけではどうしようもない、経済的問題も大きな重荷となる。
それらの難関を乗り越えるようにして、1980年に国費留学生としてバルセロナに戻り、本格的な大学研究室を借りての作業となる。
ここでサグラダ・ファミリア教会の実測を始めた。
国費留学というのは通常9ヶ月である。それでも研究が続く場合は延長届けもできると聞いて手続きをしたが、最終的には叶わなかった。

仕方なくバイトをすることにした。
時々ガウディ研究室から作図依頼があって、ポブレット修道院の作図、ヌエストラ・ミゼリコルディア・デ・レウスの教会のポーチの計画、サンタ・マリア・デル・マール教会の実測作図、バルセロナ大聖堂の回廊礼拝堂の改修計画、フィンカグエルの実測図、エルカプリチョの北側立面図、などと細かな作図のバイトをさせてくれた。
1984年にはバルセロナで初めて、巨匠ガウディ展が地元の金融機関ラ・カイシャの主催により開催されたが、その準備のための作図と模型製作とで協力させてもらった。
他には民間の模型職人のところでも、1992年のバルセロナ・オリンピックのメイン・スタジアムの模型製作を手伝った。
そんなバイトをしながら徐々にサグラダ・ファミリア教会の実測と作図を始めた。

この間にも私にとって関心があったのは、グエル地下聖堂の実測とその作図である。そこで、自宅ではサグラダ・ファミリア教会の実測による作図を進め、カタルニア工科大学のガウディ研究室工房では、コロニアグエル地下聖堂の実測作図を始めた。
それは同時に、バルセロナでの大ガウディ展示会模型製作の為の作図ともなった。
この時期は、大学の工房と自宅での作業を同時に進めるというパワフルな毎日であった。
朝から夜中まで実測、作図の連続である。バイトから戻って3畳間に満たない下宿の机でひたすら実測の整理と作図作業に没頭していた。この頃も寝る時間帯はいつも夜中の2時である。

午前中はひたすらサグラダ・ファミリア教会の階段室での実測に専念した。
その頃はまだ殆どこの狭い階段に近寄るビジターもなく、作業は容易であった。
大学の工房に戻り、食堂で昼食をとりながら実測の整理をしたあと、工房でその作図がしばらく続いた。
同時にコロニア・グエル地下聖堂の実測も交互にしていた。
研究室にはすでにプーチボアダが描いたという地下聖堂の平面図があり、それをベースに実測でその確認をはじめた。
結果的にはあまり誤差がないことが解った。
ただ1つだけ、地下聖堂の中央軸線が若干とおらない事が気がかりであった。
それとは別に柱の位置と大きさ、壁や窓の位置、さらに梁の位置等も実測しながら立面図や断面図の作図に取りかかった。

毎日の実測と観察から不思議な事に気がついた。
それは、煉瓦の配列が場所によって、特に梁の部分では異なるということである。
また、窓なども下膨れとか水滴といったような形で、どうしてそんな形でなくてはならないのか実測しながら疑問に思っていた。

   
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