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建築家トップ > バルセロナ便り > 第185回

実測で見えたガウディデザイン バルセロナの陽光に魅せられて 最もガウディに近づいた建築家、田中裕也が綴る

暴力では太刀打ちできない自然の驚異

暴力といえば、家庭内暴力からはじまり社会のレベルに応じた暴力がいまだに絶える事がない。それに使われる武器も、暴言からはじまり原子爆弾までよりどりみどりである。それぞれの好みに合わせた武器がある。
そのうちスーパーでも武器が入手できるようになるなどというと「冗談もほどほどに」といわれるだろう。しかし、それほど馬鹿げた事が人間社会の中では起きている。
所詮は人間同士、親、兄弟関係なく利害関係が伴えばその一言で爆弾までふり注いでくる時代になった。もう少し人間というのは理性があると思っていたが、野生の動物達よりたちが悪い。

ガウディの時代にも、警察が年老いたガウディを留置する事件があった事を想い出した。
建築家セサール・マルトレールが1967年に執筆した「ガウディ、人、理論、作品」の中で、1924年9月12日、マルトレールがガウディを尋ねた時の会話が以下のように記されている。この警察とのもめ事は、同年9月11日のカタルニア独立記念日であり、当時の独裁者プリモ・デ・リベラは、カタルニア人のデモを監視していたときであった。
ガウディは1714年のバルセロナ降伏での冥福の祈りをする為にサン・ジュスッツ・ストール教会にでかけ、そのときに警察に捕まったのである。

私(セサール・マルティネール)は、貴方が昨日留置されたと聞いていましたが「釈放されたのですか」と質問した。
『はい、4時間留置されていましたが釈放されました。そのうち2時間は留置され10ドゥーロ(50ペセタ)払って釈放されました。暴力的な任意逮捕でした。
私は侮辱されました。2度の「くそったれ」、さらに数度「恥知らず」と言われました。私は冷静にしていましたがしばらしくの我慢も限界でした。非常に冷静でしたが、カタルニアに対するあまりの冒涜とカタルニア語を愛する私としては、そのやり取りは我慢できませんでした。
教会の入口は開いていました。教会の中では司教だけが権限があるにもかかわらず、教会内部での権限もない警察は私を捕まえました。他の入口に行くよう言われ私は抵抗しました。それでも私はそこまで行くと他の警察は私を教会内には入れてくれませんでした。
私は彼らに「貴方達にはそんな権利はない」といいました。
「警察の言う通りにしろ」といわれました。
私は「あの場所では不法に潜入し教権に違反している。貴方達は自分達の権限を乱用している」とそれら全てカタラン語で説明しました。彼らは私に「カステリャーノ語が話せないのか」と言われたのですぐに「できます」と答えましたが私はそれを話す気にはなれませんでした。
その尋問で臆病であったら私の母国語を放棄していただろう。
それで私は逮捕され警察署に連行されたのです』。

ということをセサール・マルトレールに説明している。
武力行使というのはいまだ続いている。その武器を大衆に披露する国もあるくらいだから、国の知的レベルが知れるところである。にもかかわらず自然の力である形も色もない水の一撃で、それらの武器は勿論のこと建物や街までも一網打尽にする。

自然の力は脅威である。人間の力は自然の一部であるがその力を過信している。
     
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